なかなか更新できませんでした。
というのも、森達也『A3』を読んでから、いろいろと考えさせられてしまい、自分の思ったことを書く自信がなかったからなのです。現時点でもうまく書く自信はありません。特にオウムに関わることについて書くのは、今なお難しいと感じさせられるのです。
『A3』は、映像(映画)だった『A』『A2』に続く、森達也の麻原裁判傍聴後からの連載をまとめた作品。
僕自身、95年の阪神淡路大震災と地下鉄サリンでいろいろと考え、95年いっぱいで東京を引き払い鹿児島に戻ってきました。64年生まれの僕は、オウムの中枢にいた人たちと同世代でもありましたし、大学時代の知人にオウムにいた人もいました。麻原らオウム幹部が総選挙に出たとき、僕は杉並区永福町に住んでいて、そこが含まれる選挙区で麻原彰晃が立候補したこともありその時のことを良く覚えていました。石原伸晃もその時の選挙で同じ選挙区から初立候補し、当選したのではなかったかと思います。うろ覚えのママ書いていますので、間違っていたらごめんなさい。
僕は、選挙に出たときのオウムシスターズといわれた人たちや象のかぶり物をして踊っている選挙運動を冷ややかに見ていました。僕はいわゆるニューアカ世代ですから、中沢新一の著作を読んでいましたし、ニューアカの旗手でもあった中沢氏とオウムとが近い関係にあるらしいとか、雑誌『03』の表紙を荒俣宏氏と一緒に飾ったり、朝まで生テレビに麻原や教団幹部が出演したり…と、決して遠くはないところに存在していた実感があります。そして、ぼくとオウムとを分けたのはなんだったのか…と自問することもコレまで無かったわけではないのです。そんな僕でも、なぜオウムがあのような行動に出たのか?ということについて自分なりのしっくりくる回答は見いだせていません。
オウムの地下鉄サリン事件など一連の事件については、「追い込まれたオウムが、目をそらすためにやった犯罪」だとか「終末説を唱えていた麻原がそれを正しいと思わせるために実行した」とか「国家の転覆をはかった」…とかいろんな人がいろんな見解を持っていることと思います。いろんな見解、考え方があっても良いと思いますが、実際はどうだったの? と思うわけです。この疑問に対する答えは裁判で明らかにされるはずだった。しかし、裁判が進むにつれ、麻原の状態がおかしい。しかし、多くの人たちは、「きっと稀代の大悪人が精神病を装い、罪に問われないようにしているに違いない」、「詐病に違いない」などと考えたのです。そこで、迅速な裁判審理をすすめるというムードのようなものに支配され、事実を検証したとはとうていいえないようなプロセスを経て、麻原死刑判決の確定へと突き進んだわけです。
僕は、麻原が詐病であったのかどうかについてはわかりません。が、裁判当時に精神病が発症していたとしても事件当時がそうだったというわけでなければ、もちろん罪には問われるべきだと思います。しかし、裁判を進行するのに重大な問題があると言うならば、そこで治療を施すという選択肢はあったと今でも思っています。この点については森さんと全く同意見です。
森さんがA3』で繰り返し説明されるあの事件をきっかけに社会が変わったといいます。僕もそれを実感します。日本で生活する人の多くが1995年を転換点としてとらえているに違いないとも思います。しかし、そのきっかけになった事件がどのようにして起きたのか、なぜおこったのかをきちんと見つめず、検証せず、そして麻原を悪人代表として位置づけていっちょあがり、でいいのか? と思ってしまいます。
オウムの一連の事件の後、まだオウム裁判もろくに進んでいないのに、サリンなど危険な薬物を作っていたとされるサティアンが取り壊されるのに僕はすごく違和感がありましだが(なにしろ大切な証拠物件ですよね!?)、森さんもそのことを指摘しておられます。確かに、その地域に住んでいる人たちにとっては嫌な思い出だろうし、無くなってしまって欲しいものであったにちがいありません。しかし、オウムを戦後日本最大の犯罪と位置づけるのであれば、その犯罪がどのようにして行われたかについてきちんと検証しなければと切実に思うのです。しかし、その機会は無くなってしまったようです。
僕たちは、麻原という新興宗教を作った悪人が、自己正当化のために起こした事件…と認識してこの事件を締めくくってしまうのでしょうか? 太平洋戦争時の日本人の行動などを見て、日本人は流されやすい民族だなどという言われ方をします。僕自身、戦後の選挙の投票行動を見ても、日本人は流されやすいという部分は強いような気はしています。もし、日本人が流されやすい民族なのであればあるほど、オウム事件の検証こそ必要だったのではないだろうかと思ってしまうのです。教団幹部やオウムの信者たちは、教祖とどのようなプロセスを経て「流されて」いったのか、オウム事件が、社会に様々な副作用を残したからこそ、僕はとても知りたい。
森さんの丁寧な筆致に共感し、僕自身も『A3』を通じて、この20年ほどを振り返るのでした。共同通信の配信で一部地方紙には書評が載り、朝日新聞の書評欄で佐野眞一さんが触れておられたりはしましたが、あまり書評を見かけないのがとても残念。