プリンスのこと。

On 2016年4月23日, in 音楽, by dubbrock

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2016年早々に届いたデイヴィッド・ボウイの訃報にもガツンとやられたのだが、今回のプリンスの訃報にも驚かされた。デイヴィッド・ボウイの場合、素晴らしい新作が届くのと一緒に死がやってきて、驚くというか、最後までかっこいいというようなところがあった。

プリンスも新作『Hit n Run Phase Two』が届いたばかりだし、僕はその冒頭曲「Baltimore」はとても好きで愛聴しているところだった。しかし、ボウイの『ブラックスター』は、ボウイが死を覚悟して命を削って完成させた新作であり、作る側が最後の作品になると覚悟して作った作品だった。プリンスの『Hit n Run Phase Two』は、結果として最後の作品になってしまった作品だ。大きく違う。

僕のプリンスとの出会いは高校時代にさかのぼる。最初に買ったのは、セカンドの『プリンス』で、ラジオで聴いた「I Wanna Be Your Lover」がきっかけだった。でもリアルタイムで買ったのではなく、買ったのは81年ぐらいだったのではないかと思う。当時僕は17歳ぐらいだ。その頃はすでに3枚目『ダーティ・マインド』も出ていたはず。4枚目『Controversy(戦慄の貴公子)』が出た頃にはすでに欧米での評価も高まっていたし、セカンドも好きだったので、『Controversy(戦慄の貴公子)』を買うのは必然だった筈なのに、リリース直後は買わなかった。それは、プリンスの露悪趣味というか、音楽誌のグラビアなどで見るプリンスのエグい写真に抵抗があったから。でも次の『1999』で大ブレイクすると、そんなことも気にせず夢中になった。

最初は、殆どの楽器を自分で演奏しているという話に驚き、才能に狂喜し、『1999』のヴィデオ・クリップの美しい女性たちに夢中になり、いつのまにか虜になっていた。僕が最初に好きになったのは、「I Wanna Be Your Lover」だったから、ファンクのイディオムのアーティストと受け止めていたのだけれど、プリンスというアーティストと向き合うときにはいつの間にかジャンルというのを意識しないようになっていた。

『1999』以降は、ほぼアルバムが出るたびに購入してきた。『パープルレイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』『パレード』『サイン・オブ・ザ・タイムス』…とほんとに凄かった。この時期の86年の初来日、横浜スタジアムにも足を運んだ。結果的にプリンスのバンド、レヴォリューションの解散ライヴともなったこの公演は素晴らしい体験だったし、ギタリストとしてのプリンスにも夢中になった。そして、『ブラックアルバム』問題。レコード会社との確執から正式にはリリースされなかったこのアルバム。インターネットのない時代、ブート盤がどこどこのレコード店に入荷しているらしいという情報を聞いて探したアルバム。その後すぐに『Lovesexy』がリリースされたわけだけれど、このあたりのゴタゴタがなければ、今見てる景色は少し違ったものになっていたかもしれないと思う。

その後、プリンスはワーナーと再契約し、レコード会社の副社長にまで就任したにも関わらず、レコード会社との関係はいいものとならなかった。アーティスト名をシンボルマークにしたり、契約を消化するためのようにも見えるリリースもあった。レコード会社とのいざこざが売れるレコードを作らせたい会社側と、自分の思う作品を作りたいアーティスト側の確執という簡単な理由で片付くことではないのはわかっているけれど、この確執がプリンスの創作活動を歪なものにしてしまったのは残念だ。しかし、プリンスがアーティストの権利問題を僕らに肌身を持って教えてくれたことは大きいことだった。

2000年以降では、『3121』『アート・オフィシャル・エイジ』とプリンス復活を感じさせる新作を放ち、最近の『Hit n Run Phase』もいい作品だと思う。

しかし、しかしだ。プリンスの才能はこれらのアルバムにはおさまっていないと、多くの人たちは思っていたのではないだろうか? 少なくとも、僕はそう思っていた。そんな中途半端なままでプリンスがいなくなってしまったことがショックで仕方ないのだ。『Hit n Run Phase Two』の美しいワルツ、8曲目「When She Comes」を聴きながら、僕は自分のあいた穴の大きさに驚いている。

 

Dubforce紹介記事

On 2016年4月18日, in 音楽, by dubbrock

中心メンバーの屋敷豪太さん、ダブマスターXこと宮崎泉さん、増井朗人さんの話を交えつつ、紹介記事を書かせていただきました。
興味を持ってライブに足を運んでいただけると幸いです。

http://www.riddimonline.com/archives/12647

 

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DUBFORCE始動!
元ミュート・ビートの3人が始める新プロジェクト、と表現するのは簡単だ。しかし、この3人がミュート・ビートの後、どのような足跡を残してきたかを振り返りつつ、今この3人が集まって新たな一歩を踏み出すことの意味を考えるとき、安易に「元ミュート・ビートの3人が始める新プロジェクト」という表現で済ませたくない気持ちがある。
屋敷と増井のミュート・ビート後のミュージシャン、プロデューサーとしての活躍ぶりはとても素晴らしいものだし、制作者としてはもちろん、この数年はPAを主戦場に見事な仕事を重ねる宮崎の3人がどのような音を届けてくれるのか、実に楽しみだ。
ミュート・ビートがバックボーンにしてたレゲエやダブがこの新プロジェクトでも肝になるのは言うまでもないだろう。しかし、すでにミュート・ビートがなくなって四半世紀となる今、その期間に経験を重ねてきた3人がどのような進化を聴かせてくれるのか楽しみで仕方がない。

このプロジェクト始動のきっかけとなったのは、昨年の9月、不慮の自転車事故にあった朝本浩文をサポートするためにさる3月19日に開催されたAsamoto Lovers Aidだという。ボクはその時のイベントのために以下の様な原稿を寄せた。

“Asamoto Lovers Aid“

朝本浩文の活動を振り返ると、古くはオート・モッド、モッズ、沢田研二、本木雅弘、THE BOOM、UAから自身のRAM JAM WORLD、KAMに至るまでその活動範囲は広い。
そんな中、彼が80年代後半に参加したミュート・ビートでの活動がいかに重要なものであったかは、彼のミュート・ビート以降の諸作品に垣間見えるレゲエという音楽の存在の大きさを見れば一耳瞭然といっていい。

朝本浩文が2014年9月の自転車事故により今もなお意識不明の状態にあることは、皆さんご存知だろう。そんな朝本に、朝本を朝本たらしめるのに大きな役割を果たしたミュート・ビート時代のスタッフ、仲間が中心となりエールを送るのが今回のイベントだ。

今回の呼びかけに応じ、このイベントで中核となるバンドを形成するのは、GOTA、伊藤直樹、角田敦(Watusi)、エマーソン北村、増井朗人、巽朗、會田茂一というミュート・ビート時代から最近に至るまで朝本と数多くの演奏をしてきた手練れたち。そんなバンドをバックに、THE BOOM解散後の初ステージとなる宮沢和史をはじめ、いとうせいこう、ヤン富田、藤原ヒロシ、INO hidefumi、プシン、ユラリ、チエコ・ビューティ、翼 a.k.a t-Ace、SUGARSOUL、NARGO、内藤幸也といった面々が登場する。エンジニアをつとめるのはもちろん朝本の盟友、ダブ・マスター・X。

すべての出演者、スタッフが朝本のために無償で駆けつけ、諸経費もすべてが各所の協力により負担され、集まった全収益は朝本の家族の元へ行くという。
朝本の気の置けない仲間たちによるこのイベントに対して、私たちが何を出来るかは、賢明な皆さんならお分かりだろう。

2015年3月19日、恵比寿 LIQUIDROOMでお会いしましょう!

この3月のイベントがきっかけとなり、DUBFORCEは始動。朝本は今も思うような活動ができない状態だが、朝本の目に見えぬフォースがDUBFORCEとなった。

以下の顔ぶれを見れば、このプロジェクトが素晴らしいものになることは、想像出来るだろう。マジでヤバイよ、見に行かなきゃ損!

ー DUBFORCE ー
屋敷豪太(Dr)
増井朗人(Tb)
DUB MASTER X(Mix)
WATUSI(Ba)
エマーソン北村(Key)
巽朗(Sax)
會田茂一(Gt)
多田暁(Tp)

ー Feat.Guest ー
宮沢和史
いとうせいこう

公演情報
DUBFORCE
2015年11月13日(金)渋谷クラブクアトロ 開場 19:00/開演 20:00
チケット:前売 4,000円 当日5,000円
チケット一般発売:10月3日(金)
主催:OVERHEAT MUSIC
企画:OVERHEAT MUSIC
制作:OVERHEAT MUSIC
協力:PARCO
問合せ:OVERHEAT MUSIC TEL 03-3406-8970 FAX 03-3406-8958
公式ウェヴサイト:http://www.overheat.com/dubforce/

 

Ken Boothe in Japan ケン・ブース来日!

On 2015年7月11日, in 音楽, by dubbrock

KenBoothe
ケン・ブースの来日決定。ベテラン・アーティストの来日はとにかく見ておいたほうがいいです。しかも、バンドがケンを支えるステージ・ショー。
以下は招聘元からの文章を転載します。

ロック・ステディを代表する大スター、ジャマイカ・ヴィンテージ・レゲエ最後の大物、ゴッド・ファーザー、ケン・ブースが9月に来日する。「Everything I own」「Silver Words」「 Just Another Girl」「Train Is Coming」「Lady With The Star Light」等、数々ビッグ・チューンを引っさげ、アルファ・ボーイズ・スクール出身のジャマイカン・トランぺッター、エディ・タンタン・ソートンとのセッションも記憶に新しい東京のオーセンティック・スカ・バンド、クール・ワイズ・マンをバックでのパフォーマンス。ジャマイカで一番熱い声、迸るソウルを聴け!

9/ 25 大阪 難波ロケッツ
/ 27 千葉 ROUTE14
/ 28 渋谷クアトロ
/ 29 名古屋クアトロ

*各公演のスタート時間、出演、料金等の詳細はドラム&ベースレコードのHPやFacebook Drum & Bass RecordsやRock A Shackaに順次アップデートされます。
http://www.drumandbass-rec.com/

Ken Boothe Profile
ロック・ステディというジャンルを皆さんはご存知であろうか? 1967年ジャマイカはとても暑く、それまで主流であったスカのアップテンポなリズムではやってられないと言う意見からリズムをスローダウンさせ生まれた音楽、それがロック・ステディだ。ホットなスカに対してクールでロマンティックな後年ラヴァーズ・ロックのベースになった音楽、ダンス・ホールでも基本となった素晴らしいベースラインはこの時代に多々として生まれている。その素晴らしきジャマイカ音楽の時代にアルトン・エリスと並ぶ、もう一人のミスターロック・ステディが存在した、そうゴッド・ファーザー、ケン・ブースである。
スムースでシルキーなアルトンに対してあくまでも熱く迸る魂でシャウトするブースはジャマイカのウィルソン・ピケットと称された。
盟友ストレンジャーとのデュオがそのキャリアの始まりで「Artibela」「World Fear」は65年にコクスンのもとでヒットした。66年にはソロ・デビューを果たし「You’re No Good」や「Train Is Coming」をブレークさせ、当時大人気であったトレジャー・アイルの誘いを受けず、「Come Running Back」「Moving Away」「Just Another Girl」等の数々のヒットをスタワンで飛ばし続けた硬派な歌手だが、その後レスリー・コングのビヴァリーズに移り「Freedom Street」[It’s Gonna Take A Miracle」キース・ハドスンからは「Old Fashioned Way」フィル・プラットから「Not For Sale」等ヒットを、そしてモンスター・ヒット「Everything I Own」はチャーマーズで録音され、当時はジャマイカのみならずイギリスでも大ヒットを記録した。
それから今日に至るまでその揺るぎない数々のヒット曲はレゲエの殿堂入りを果たし,多くの歌手に歌い継がれている。91年にデニス・ブラウン、ホレス・アンディ等と来日、95年にはアビシニアンズ、フィルス・ディロン、デリック・モーガン達とパワフルなパフォーマンスを見せてくれた。2005年に再び来日公演がアナウンスされポスターまで貼られたのに実現せず、多くのファンは涙したのだった。
あれから20年、ゴッド・ファーザーの待望の来日。

クール・ワイズ・マン / COOL WISE MAN
ジャマイカ伝説のトロンボニスト、リコ・ロドリゲスやシマリップ(ロイ・エリス)のツアーバンドを務め、オーストラリア最大のイベント BIG DAY OUTではエディ・タンタン・ソートンと競演した。これまでにキング・スティットやデリンジャーと言ったトレンチ・タウンのオールド・スクールDJ とのコラボ45盤や6枚のオリジナル・アルバムとベスト盤を一枚リリースしている、今年で結成22年目になる東京のベテラン・オーセンティック・スカ・バンド。

Official Web    http://coolwiseman.galactic-label.jp/
Facebook    https://www.facebook.com/coolwiseman

 

僕も音楽業界の片隅にいるので、今日はちょっと固いネタですが書きます。

テレビやラジオなどで楽曲を使用する際に放送局が支払うビジネスに関してJASRACの徴収方法が私的独占(独禁法違反)にあたるかが争われた訴訟で、最高裁は2015年4月28日に「他の事業者の参入を著しく困難にしている」との判決を下しました。

ま、どういうことかと大雑把に説明すると、
JASRACは、

曲が流れた回数や時間を問わず、各局の放送事業収入の1.5%を使用料として徴収する「包括契約」

を結ぶ。
つまり、放送局は、JASRACが管理しているだれのどんな曲をどれだけオンエアしようと、定額で支払っているわけです。
JASRACが管理している楽曲は圧倒的なので、放送局としてJASRACと契約しないという選択肢はない。そんな状況で、放送局はJASRACの管理楽曲以外で某社の管理する曲をオンエアすると、JASRACに支払う定額の金額以外に、某社に使用料を支払わなければならない。つまり、JASRACに管理楽曲ばかりかけていれば定額で済むのに、他の会社の管理楽曲を使ってしまったがために追加的な支払いが生じるというわけだ。なので放送局としては、JASRACの楽曲ばかりを使っていたほうが支払いが少なく済むのでJASRAC管理楽曲を使おうと考える。よってJASRACというモンスターが存在すると他社は参入しにくいということになるわけで、今回最高裁は、「他の事業者の参入を著しく困難にしている」と判断したわけです。
実際に、僕がラジオ局で仕事をしていても、かける曲はJASRACの管理楽曲でお願いしますと何度もいわれたことがある。

このような市場への参入障壁を高くするJASRACのやり方に対しても、僕は大きな問題があると思うが、実はこの問題はそれだけではないと思っている。その問題とは、

配分の問題

ペイオラ問題

この2つがとても重要だと思っている。

まずは、配分のこと。
JASRACは放送局から定額で使用料を受け取る。それはどのように配分されているのか?JASRACはいかのように説明している。

JASRACの分配の説明

上記を見ていただければわかるように、今はかけた曲を全部報告する放送局とサンプリング(四半期ごとに1週分のかけた全曲を報告)によって報告する局からなっています。
JASRACもいずれは全曲報告にするといっていますが、まだ実現には至っていません。
このサンプリング方式は、ライブハウスや宴会場での音楽使用でも採用されています。このサンプリング方式に関しては不満も多く、自分で作詞作曲したミュージシャンがライブハウスで年に数十回演奏したとしても、使用料なんて受け取ったことがないという人もいるほどで、その不透明性が問題となっています。
今後全曲報告に移行するというのならば、その時期を明確にし、全曲報告するならば、かけた分の楽曲使用料を支払うという方式に移行することが大切で、そのことによって他業者の参入がしやすくなりますし、権利者である使用料の分配を受けるべきアーティストも納得するようになるはずです。
テレビで自分の楽曲がかかっているのを何度も聞きながら、使用料の分配を受けたことがないという人の声もたくさん聞きますので、やはりその辺りを明確にすることが大切だと思います。

そして、ペイオラ問題です。
ペイオラ=Payolaについては、日本語でのwikiには該当がなかったので、英語のwikの説明をここにリンクしておきます。アメリカ有名ディスクジョッキー、アラン・フリードの項にペイオラの簡単な記述がありますから、以下に引用します。

フリードは「ペイオラ・スキャンダル(英語版:Payola)」と呼ばれる音楽業界内の不祥事に巻き込まれるに至った。Payolaとは、支払いを意味するpayとレコードプレイヤーの代名詞であったVictrolaの合成語で、レコード会社がDJに働きかけて特定のレコードを流してもらう見返りに、DJにリベートを支払うことをさす言葉である。DJは雇用的に不安定な職業で賃金も低かったため、生活の大半をこのペイオラに頼っていた。また、1950年代当時はペイオラを違法とする法律も存在しなかったため、そのやりとりは業界内で慣例化し、謝礼行為として認知されていた。

しかし1958年、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)はペイオラを放送倫理の腐敗と激しく非難し、下院議会に意見を諮っていた。議会はこの意見を聴き入れ、ペイオラを商業上の賄賂とみなし、違法とする法律を制定した。これにより、1959年から1960年にかけて、ペイオラに関わったDJをはじめとする音楽関係者の多くが、容赦なく業界から追放された。全米で最も有名なDJとなっていたフリードも、司法の追及をまぬがれることはできなかった。

フリードは1959年11月に、所属のWABC局から「過去いかなるレコード会社からも金品をもらっていない」という宣誓書に署名を求められたが、これを断ったため、WABC局はフリードを解雇した。その後フリードは、1960年5月に商業贈収賄(Commercial bribery)の罪で告発され、その結果、1962年に罰金300ドルと6ヶ月の謹慎処分の実刑判決を受けた。

このフリードのペイオラの件は、選曲権のあるディスクジョッキーに賄賂を渡したという例ですが、ここ日本ではペイオラのようなことが別の形で日常的に行われています。ちなみに上の記事にあるASCAPとは日本で言うJASRACのようなものです。日本のJASRACの姿と比べてしまうわけですが…。
ペイオラに似た一例を上げましょう。
日本のTVキー局は関連会社として出版会社を持っています。自分の番組で使用する楽曲を制作するときはその出版会社が楽曲の管理をすることが多いです。たとえば、ワールドカップやオリンピックなどTV各局は応援ソングとかイメージソングとかを決めて前告知からワールドカップ、オリンピック期間中大量にオンエアを繰り返します。それらの曲は、多くの場合、その放送局の出版社が権利を持っています。つまり自分たちが権利を持っている楽曲を大量にオンエアするわけです。大量にオンエアすると、その放送使用料の一部は自分たちに帰ってくるのです。そして、放送で数多く流されたその曲はヒットする曲も多いでしょうから、そこでの利益も自分たちに帰ってきます。
つまり、公のものと考えられる放送を自分たちの利益のために利用しているといわれても仕方ないようなことを平然と行っているのです。アメリカでは放送局が出版社を持つことは禁止されています。しかし、日本では私達の無知をいいことに、放送上の倫理もへったくれもなく、現在まで平然と行われています。

また、先に書いたように、放送局では使用した全曲を報告するというスタイルに変化してきていますが、かつてはサンプリングで年に4週分を全曲報告し、それをサンプルとして使用料配分の計算としていました。その時代には、楽曲を報告する週にかける曲は自社系列の出版社の管理楽曲やタイアップ先の楽曲をオンエアするようになっていました。報告する週には、かけたい曲をかけられないということが実際にあったのです。報告週にたくさん曲をかければ当然使用料の配分は大きくなるわけです。

長々と書いてきましたが、僕が何を言いたいのかというと、もう少しお金の流れを明確にしてもらえないかということです。僕は音楽のことが大好きですから、使用料など集まったお金が、権利者に適正に配分されて欲しいし、そこにはペイオラのようなことがない世界であってほしいと願うわけです。
また、日本はインターネット上での楽曲の使用に関してもすごくハードルが高い。海外ではたくさんあるインターネットラジオ局がなぜ日本ではこんなに少ないのか…。
僕は音楽を使用するのにお金がかかるのはいいことだと思っています。そのお金がミュージシャン、アーティストのような権利者に適正に配分され、それが創作者のモチベーションの一部となるのであれば喜んでお金を支払います。
しかし、規制やハードルばかり高くて、楽曲を使用しにくい状態になっているのだとすれば、マーケットを縮小する方向にしか向かいません。
楽曲をより使いやすく、そしてお金を払いやすくる。自分たちの支払ったお金がきちんと権利者に行くのであれば、喜んでお金を払うという人は少なく無いと思うのですけどね。

著作権管理会社だけでなく、レコード会社、ひいては音楽業界全体が真剣に向き合いわなければいけないことだと切に願います。業界内でいがみ合ってる場合じゃないと。

参考→朝日新聞記事

 

 

あらためてMadnessを聞き直してみる。

On 2015年1月21日, in 未分類, by dubbrock

スペシャルズももちろん好だけど、マッドネスのことも大好きなのだ。日本での人気は今ひとつという感じもするけど。
今の時代はyoutubeもあることだし、マッドネスのクリップを並べてみようとふと思いついたのでやってみる。
殆どの曲にクリップがあるからいいね。
スカ、ロックステディ、スキンヘッズ…などなどからの直接の影響を表に出していた最初期から国民的なバンドとなっていくプロセスが面白い。
音だけでなく、クリップを見ると彼らのイギリスらしさが際立ちますね。
ジャマイカの音楽からの影響は大きいから僕などはシンパシーを寄せやすいのだけど、イギリスのワルガキな感じが今でも残っていて憎めないのだよなぁ。
いまだにアルバム出ると買っちゃうバンドです。

The Prince (1979)

One Step Beyond…(1979)

My Girl (1979)

Baggy Trousers (1980)

Embarrassment (1980)

The Return of the Los Palmas (1981)

Grey Day (1981)

Shut Up (1981)

It Must Be Love (1981)

Cardiac Arrest (1982)

House of Fun (1982)

Driving in My Car (1982)

Our House (1982)

Tomorrow’s (Just Another Day) (1983)

Wings of a Dove (1983)

The Sun and the Rain (1983)

Michael Caine (1984)

One Better Day (1984)

Yesterday’s Men (1985)

Uncle Sam (1985)

Sweetest Girl (1986)

(Waiting For) The Ghost Train (1986)

The Harder They Come (1992)

Lovestruck (1999)

Johnny the Horse (1999)

Drip Fed Fred (2000)

Shame & Scandal (2005)

Girl Why Don’t You (2005)

Sorry (2007)

NW5 (2008)

Dust Devil (2009)

Sugar and Spice (2009)

Forever Young (2010)

Never Knew Your Name (2013)

How Can I Tell You (2013)

 

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僕のマーク・リーボウへの偏愛はかつてこのブログでも書いた。
今回、リーボウのヤング・フィラデルフィアンズのライヴを見てきた。トップの画面では6.29になってるけど7.29ねw
リーボウとフィラデルフィア出身のカルヴィン・ウェストンとフィラデルフィア育ちのジャマーラディーン・タクマのリズム隊とマーク、それにメアリ・ハルヴァーソンを加え、フィリー・ソウルを演奏するというプロジェクト(バンド)だ。
フィリー・ソウルというと、フィラデルフィア・インターナショナル、ギャンブル=ハフ、シグマ・サウンド、ジョー・ターシャ、MFSB、スタイリスティックス、トム・ベル、ストリングス…
まぁ、大雑把なイメージで言うとそんな感じ。ファンキーであり美しい。
そんなフィリー・ソウルをリーボウたちがいかに調理するのか?

カルヴィンというと、個人的にはジェイムズ・ブラド・ウルマー『アー・ユー・グラッド・ビー・イン・アメリカ?』『フリー・ランシング』であり、ラウンジ・リザーズの復活作『クイーン・オブ・オール・イアーズ』での怪演、そしてオーネット・コールマン『ヴァージン・ビューティ』などコールマンの諸作がすぐ頭に浮かぶ。

タクマも、チャールズ・アーランドのベーシストとして若くから音楽活動をスタートさせ、コールマンのプライム・タイムでエレキ・ベーシストとして注目されたわけだし、僕ら世代はコズメティックスのこれっすよね。フランソワ・ケヴォキアンの12インチミックスもあった。

リズム隊の2人がコールマン門下生ということもあり、ヤング・フィラデルフィアンズ名義でコールマン曲を演奏するプロジェクトもあるそうだ。しかし、今回はフィリー・ソウル版。

まぁ、それがどうだったかというと、凄腕リズム隊は抜群の技術で自身の演奏をコントロールしつつ、フリー・ジャズしながらもしっかりファンク。もうね、すごいすよありゃ。好き勝手自由にやって破綻するかに見せてしっかり調和しているというね。

そしてマークは弾きまくる。キレッキレ。そしてマークのギターに寄り添いつつずらしながら際立たせるメアリーのギター素晴らしかった。いやーカッコ良かった。

この手練4人に日本から参加のストリングス担当女性が3人。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。1人は僕の知り合いの知り合いだったようで、開演が遅れたのは開演時刻から5分かけてストリングス譜面を書き直したのが原因だったそう。
ストリングスの3人は、手練なれど基本はフリーな人たちに必死に食らいついていく感じ。リーボウからの指示に振り回されながら。

序盤はPAイマイチでした。ストリングスは殆ど聞こえなかったですね。あのどでかい音の中で生のストリングスはなかなか大変だったでしょうがw
ピープルズ・チョイス「Do It Any way」やヴァン・マッコイ「ハッスル」やMFSB「TSOP」、シルヴァー・コンヴェンション「フライ、ロビン、フライ」、オハイオ・プレイヤーズ「ラヴ・ローラーコースター」のようなアップテンポのものもあれば、「Love TKO」「ユーアー・エヴリシング」「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」のようなスローなものも。

ヴォーカルはまさかのマークw 「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」ではカルヴィンが歌ってましたが、やはりソッチのほうがぽいわけですが、マークが歌うともうフィリー・ソウルというかw

でもやっぱへんてこでかっこよかったなぁ。

 

New BIKE! CARRERA SL

On 2014年7月6日, in 自転車, by dubbrock

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2年近く乗ったLOOK695SRですが、車との事故で廃車扱いに。僕の身体自体には問題がなく良かったのですが、愛車を失うということに。フレームがNGだったのでフレームのみ交換して、他の使えるものは載せ替えです。

そんでもって後継フレームに選んだのがCARRERA SLです。

CARRERAは、若い自転車ファンには馴染みのないバイクブランドかもしれませんが、個性的なバイクを作るイタリアのメーカーです。80年代90年代のジーンズ柄のCARRERAチームのジャージには記憶の方もおられるかもしれません。ステファン・ロッシュやマルコ・パンターニなども在籍していました。

今回の事故では、2年ほど乗っているという理由で、フレーム売価の8割しか補償されないとのことで、前のLOOKと同じものを買おうとすると2割分を手出ししなきゃいけないわけです。しかもLOOKは納期が見えないし、納期が早く好みのもの…というわけで選んだのがCARRERA SLです。

LOOK695は、LOOK独自規格のBBとZEDクランク、そしてステム、シートポストがついています。なのでLOOKから別のフレームに載せ替えるとなるとBBとクランク、ステム、シートポストは新たに購入しなければなりませんが、LOOKを買い直すとしても定価の2割分(10万超える)を自分で出さなきゃいけません。LOOK695は好きなバイクでしたが、独自規格が多く、使えるパーツが少なかったりするところもあったので、今回は比較的汎用性の高いパーツを使っているCARRERAという選択になった部分もあります。

新たに買ったのはSRAMのプレスフィットのBB,SRAM REDのクランク、FSA K-Forceのステム、シートポスト、ハンドルというチョイス。

というわけで組み上がりました。

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ディレイラーは前のLOOKからのSEAM RED 2012。

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ちょうどタイミングよくGarmin Edge1000が発売されたので、長年使ったedge705から交換。edge1000なかなかいいです。僕はwiggleで購入したのですが、wiggleでGarmin製品の取り扱いなくなったみたいです。
正確にはGarmin製品は取り扱ってるけど、日本には発送しないということのようで、発送先を日本に設定していると検索にGarmin製品はかからない。発送先をイギリスにするとでてくる。
僕のedge1000が最後の日本への発送だったのかもしれませんね。
日本の代理店からの要請なのかもしれないですが、僕は日本語版じゃなくて英語版で十分だし、日本の代理店も英語版も販売してくれりゃいいじゃないかとおもいますけどね。日本語対応に時間かかるのはわかるけど発売遅いし、高いし。

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フレームがマットなブラックでパーツもマットなグレイブラックなので全体的に渋い仕上がりですが、とても気に入っています。

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ちなみに、サドルはお気に入りのAstuteです。これも前のバイクから使っているものですが、すごくいいサドルです。僕の周囲でも愛用者が増えてます。

フレーム Carrera SL size s
コンポ Sram Red 2012
BB Sramプレスフィット
ハンドル FSA K-Force
シートポスト FSA K-Force
ステム FSA K-Force 100mm
ホイール Fulcrum Racing Zero 2 way fit
タイヤ Hutchinson Atom Comp Tubeless
クイックリリース KCNCロードスキュワー
ペダル LOOK Keo 2 Max
サドル Astute Skycarb VT

サイコンを抜くと6.78キロで仕上がってますが、サイコンなどつけると6.8キロ超えますんで違反じゃないですw

 

 

KISHI BASHI 2014.06.25 渋谷クアトロ

On 2014年6月28日, in 音楽, by dubbrock

僕がKishi Bashiのことを知ったのはいつだったろうか。
彼がオブ・モントリオールやジュピター・ワンの一員として活動していたのを知ったのは、Kishi Bashiを認識してからのこと。

Kishi Bashiは、名前のK.IshibashiをKishi Bashiと表記する。1975年生まれ。
アメリカの大学で教鞭をとっていた両親のもとにアメリカ、シアトルで生まれ、アメリカで育った。見た目は日本人だがアメリカ人だ。でも日本語も喋れる。7歳でヴァイオリンを始め、バークリー音大を経て、2002年からはブルックリン、その後自分が生まれ育ったジョージア州ノーフォーク、最近は親交のあるオブ・モントリオールのメンバーも居るジョージア州アセンズに移って活動している。

僕がKishi Bashiから受けた最初のインパクトのひとつはNPRのタイニー・デスク・コンサートだった。この時点でKishi Bashiスタイルともいうべき、ルーパーを駆使したスタイルは出来上がっている。

このタイニー・デスク・トップ・コンサートと同時期にファースト・アルバム『151a』(いちごいちえ、とよみます)にはガツンとやられた。

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151a

Kishi Bashiは、ファースト以降もJoyful Noise Recordingsからリリースを重ねてきた。

ベイルートやトーキング・ヘッズ、ELOの曲をカバーした7インチのシリーズや「Philosophize In It! Chemicalize With It!」を7インチでリリース。「Philosophize In It! Chemicalize With It!」は美しいピクチャーディスクで。

これら7インチでリリースされた曲は日本独自編集盤『フィロファサイズ!ケミカライズ!』にまとめられた。これは
「Philosophize In It! Chemicalize With It!」が花王のコマーシャルに採用されたことも大きかっただろう。


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「フィロファサイズ!ケミカライズ!」

2014年のヴァレンタイン・デーには前年のヴァレンタインデー公演を収めたライヴ盤をJoyful Noise RecordingsよりDVD付きピクチャー盤でリリース、したがすでに完売。このライヴ盤については、電子雑誌『エリス』の6号で紹介しました。そして2014年4月に最新アルバム『Lighght』をリリース!

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ライト

ちなみに、上のジャケットは日本盤のみのもので、アメリカ盤は以下のもの。
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Lighght

さて、Kishi Bashiの音楽を、簡潔に表現できる言葉を僕は知らない。
ルーパーを使うアーティストは今でこそたくさんいるが、彼ほど上手に使っている人はいないように思う。
主にヴァイオリンを弾くKishi Bashiだが、他にも多くの楽器を演奏する。バークレーでジャズ・ヴァイオリンの音楽教育を受けた彼だが、彼の音楽はジャンルで括れるようなものではない。

ルーパーでヴァイオリンや声をループさせ重ねたり、さらにピッチを変えて重ねながらベーシックとなるリズムを作り出す。しかし、ルーパーというテクノロジーに頼っているのではなく、Kishi Bashiのそれはテクノロジーと共に肉体性も持つ。歌詞は知的でユーモラスなものもあるがけっして頭でっかちではない。ルーパーで生み出したものをバックにソロ演奏することもあれば、バンドサウンドの中でルーパーサウンドを織り込むこともある。
ほとんどの歌詞は英語で歌われるが、Kishi Bashiは響きの面白い日本語を曲に取り込むのも得意だ。
多くのライヴ活動を通じて培った声も大きな武器だ。声とヴァイオリンという自身の肉体から生まれるものとテクノロジーをうまく融合させ、自分の世界を作り出す。それは、知的なのだが肉体的でもある。
彼の紡ぐ音楽は、サウンドコラージュというよりは、KIshi Bashiの脳内で出来たものを自身の声とヴァイオリン、テクノロジーを肉体を通して具現化していく感じといってわかってもらえるだろうか。

ライヴでのKishi Bashiは、まさに知的な肉体性を発揮したものだった。
バンドは、ヴァイオリンとヴォーカルのKishi Bashiと、バンジョー、ベース、ドラムスからなる4P。
もうこの編成から面白いですよね。ギターじゃなくてバンジョー。しかし、それはバンジョー奏者のマイク・サヴィノ(aka Tall Tall Trees)の存在が大きいのかもしれないけれど。

Kishi Bashi のメインのヴォーカル用のマイクはメインのPAで直に行っているが、ルーパー用のヴォーカルマイクも別に使われ、ヴァイオリンも足元のルーパーとエフェクターを経由する。ヴァイオリンのエフェクトも足元で自分でかけている。
僕はPA卓の横でステージを見ていたが、実際にライヴ真っ最中のPAは、楽器の音量を調整するというのが主な役割でエフェクトに関してはほぼノーケアだった。
ルーパーではヴァイオリンやヒューマンビートボックス的なアプローチでループさせたり、ルーパーで録音したフレーズをピッチとスピード変えて他のループに重ねたりしてドリーミーな世界を生み出す。Kishi Bashiのルーパー使いは神でした。すごかった。ちなみに終演後、足元のエフェクターボードを撮影しておきました。
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4Pのバンド+ルーパーで生み出される音楽は時にイクスペリメンタルでプログレッシヴでもありポップでもパンキッシュなこともダンサブルなことも。Kishi Bashiの音楽的な幅広さが十分に発揮されていた。名曲「Bright Whites」で付け加えられたヴァイオリンには中近東風味さえも。

CM曲でもある「Philosophize in It! Chemicalize with It!」でスタートしたステージは、アンコールまで含みあっという間の1時間半だった。僕の記憶の範囲でセットリストを以下に記しておく。

Philosophize in It! Chemicalize with It!
Carry on Phenomenon
Bright Whites
Improv: Violin v. Banjo (Kishi Bashi and Tall Tall Trees)
Q&A
Hahaha Pt. 1
Hahaha Pt. 2
Wonder Woman, Wonder Me
Beat the Bright Out of Me
Evalyn, Summer Has Arrived (Kishi Bashi and Tall Tall Trees)
Bittersweet Genesis for Him AND Her (solo)
Manchester (solo)
I Am the Antichrist to You (solo)

Encore:
The Ballad of Mr. Steak
Live And Let Die (Wings cover)
It All Began With a Burst

観客のメインは20代、30代の女性。この人達は普段どんな音楽を聞いているのだろうと想像しても、想像できない感じ。外国人のお客さんも多かった。
アンコールではウィングス「死ぬのは奴らだ」のカヴァーも披露した。全米ツアーではZEPの「胸いっぱいの愛を」のカヴァーをやった日もあったようだからどっちかなぁと思ってたけど、この日はウィングスでした。

公演の翌日、NTVのスッキリにも出演したKishi Bashi。日本でのブレイクも近いかなと期待します。このKishi Bashi、この十年で出会ったアーティストの中で最も注目しているアーティストの1人。皆さんも是非!

 

RAGING FYAH『DESTINY』

On 2014年6月20日, in 音楽, by dubbrock

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少し前のアディス・パブロの項でも書いたようにジャマイカでは新世代のルーツ・レゲエが注目を集め始めている。アディスやJah9など注目すべき存在が頭角を現してきているが、その筆頭格ともいうべき存在がレイジング・ファイア

Corner Stone Musicからはファースト・アルバムの収録曲「Judement Day」などの長尺版を収録し、Rub Vytes(aka Neko Massive 倉谷拓人)によるダブミックスまで収録の2枚組7インチが出ているが、ついに同レーベルからセカンド・アルバムが国内盤での登場となった。

まずはセカンドアルバム収録曲をyoutubeでどうぞ!

このクリップを聴いていただければ、アルバムに期待いただけることがわかるだろう! 単なるルーツ・レゲエではなく、ラヴァーズ・テイストなども取り入れながら、アルバムとしてよく練られている。本作で更に多くのファンを獲得することを期待。
このアルバムを日本盤でリリースしたCorner Stone Musicに大きな拍手を!